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クラッカワーゼミ公式ブログ
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文:GAH-GAH & MAKI
イラスト:MAKI

★メディア理論のいろは★


たとえば1:

少年による凶悪犯罪が社会問題化し、そのたびによく聞かれるのが「やっぱりメディア(ゲーム・ネット・映画 etc )は見るものに影響を与える、純粋な青少年に対する毒だ!」という意見。



でもそれって本当だろうか?


たとえば2:

毎日世界のあちこちから伝えられるニュース。しかしその中には、話題として大きく取り上げられるものもあれば、全く話題にならないものもある。

 

それってどうしてだろう?


そんな「なぜ?」や「本当?」にまつわる、メディアの現象を考えていくのが、メディア理論です。



もっと詳しく!:


本、新聞、ラジオ、テレビ、映画、インターネット・・・ メディアの発達は、マス(大衆)コミュニケーションや社会の変化と深く関係している。





1920~40年代: 

直接的で即効性のあるMedia Effect 説(e.g. 弾丸理論)

 ・ソ連やナチス、第二次大戦中のメディア戦略(映画・ポスター、ありとあらゆるメディアが政治的に利用された。いわゆるプロパガンダ。)   

 ・アメリカでラジオフィクション番組『火星からの侵入』を聞いて、本当の話だと誤解した人がパニックに陥った、などの事例から

      "The media are POWERFUL,

      SOCIAL, andPOLITICAL force"  

という認識が定着した。

メディアには人々を manipulate (操作)する力がある、ということが広く知られるようになった一方、メディアは発射された弾丸のようにオーディエンスに対して直接作用し、強い影響を与えると仮定した。

一番上に示した図はその考え方に基づいていると言える。





1940~60年代: 

間接的・限定的なMedia Effect説 (e.g. ゲートキーパー理論)

メディア研究が進むにつれ、実際はメディアはオーディエンスに対して限られた力しか持たず、ある程度複数の視点から見ることでその影響を考えようとする理論が現れる。

たとえばいわゆる口コミやニュース解説などでは、オピニオンリーダーはメディアから直接情報を得た後、その情報を取捨選択して、必要と判断された情報のみにその人の主観を加えて他者に伝えている。このような間接的な情報のやりとりも、メディアの効果として位置づけられるようになった。 (Two-step Flow 説)





1960~80年代:

Active Audience説(e.g. 利用と満足理論)

しかし、現実はそんなに単純ではない。Media effect説にはいくつか問題点がある。

! オーディエンス= passive,  メディア= causal, と決め付けていいのか?

!メディアは社会構造の一部であり、その影響力 も社会の中にある他の要素から切り離して考えることはできない。(子供が非行 に走るのはテレビのせいだけだと言えるだろうか?家庭にも問題あるのでは?学校は?) 

!ひとくちに effect といっても、漠然としすぎている。

       短期的な影響か?

       はたまた、長期的な影響なのか?

…これを数値化したり計測で裏付けるのは難しい。





そこで:

それまでメディアの機能や効果にばかりあてられてきた焦点をオーディエンスに移し、オーディエンスを能動的・積極的にメディアを選択しているものとしてとらえる考え方が生まれた。つまり全くの受身ではなくて、各自その人なりの様式(社会的背景や、その人なりの価値観など)に基づいて主体的にメディアをジャッジしているとする考え方だ。




メディアもオーディエンスも社会の中に組み込まれたものである以上、いろいろな社会的要素を考慮に入れながら相互の関係を考える必要がある。情報が欲しい、現実逃避したい、心の居場所を見つけたい… オーディエンスがメディアを利用する裏側には、様々な理由があり、彼らのメディアに対するリアクションはその社会的なバックグラウンド(家族、階級、ジェンダー、ライフスタイル etc )や個人的な価値観などによっても大きく左右される。

               

と同時に:

Active audience理論が生まれる一方、 テレビの普及が再びMedia Effectに立ち戻る理論を発展させた。メディアが強調する限られた優先トピックのみが、オーディエンスの間で重要なものとして認識されるという議題設定理論。少数派の意見が、対立する支配的多数派の意見から孤立することを恐れて沈黙するという沈黙の螺旋理論。長時間メディアと接することでオーディエンスがそのメディアを通じて得た知識を「現実」として認識するようになるカルティベーション理論などは、いづれもメディア、受け手、そしてそれらを取り囲む社会をモデルとして想定していること、私達の考えている「現実」とは、メディアという窓を通して見たごく限られた知識に基づいたものである、という点を強調する。

メディアを考える上では、これらの考えのバランスを取ることが大切である。



Media Effect説 ( what the media do to people )

↓ ↑

Active Audience説 ( what people do with the media )



そして今:

急速なインターネットの普及は、新たなマス・コミュニケーションのあり方を私達に問いかけます。情報に流されず、情報を賢く使って社会の中で生きていくために今必要なのが、メディア・リテラシー、すなわち字を読み書きするようにメディアを駆使することができる能力です。私達ゼミ生は授業の中で実際に新聞や映像を使いながらこのメディア・リテラシー能力を高め、情報の受け手と送り手、双方の関係についてより深く理解しようと学んでいます。



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